場所との出会い2

その翌日から、ずっと大家さんにそれとなく話をしてみる機会をうかがっていました。
ふだんから自転車でよく出かけられている大家さん。いつも夕方になると創樹社美術出版のそばに自転車を停める姿をよく拝見していました。

しかし、こういう時に限って、姿をお見かけしない。
少しずつ焦りが出てきます。誰かに借りられてしまうのではないかと。
正直に、 ずっとお世話にっている創樹社美術出版の伊藤社長に話をしました。
「社長……、真上の部屋が空いているそうです。8.2坪で家賃は64,000円ほどなんです」
社長はその話を聞いて、驚くように言いました。
「えっ!! 家賃、うちよりずいぶん安いな……」
そしてアドバイスしてくれました。
「とてもいい大家さんだから、自分から話を聞きに行ったほうがいいよ」
わたしは恐るおそる3階の大家さんの住まいに伺いました。

大家さんは、わたしの顔を見てすぐに、ああ、いつも事務所にいるあの若造(実際そうではありませんが)と認識してくれたようです。
「上の部屋が空いているのを知りまして……」
話を伺うと、テナントさんがたまたま立て続けに退去して、現在、大きな部屋と小さな部屋の2つが空いているとのこと。わたしは小さな部屋だけをのぞかせてもらうことにしました。
鍵を開けてもらいドアを開けると、最近塗り直した白壁の、ペンキの匂いがかすかにしました。
長方形の部屋には大小窓が二つ。大きな窓の眼下には、サッカー通りを行き交う人も見えます。心地よい風が入ってきました。
<机を置くなら、景色が眺められるこの窓のそばがいいかな……>
すでにそんなことを考えてしまっている自分がいました。

「借りますか?」
不意に飛び出した言葉に、わたしはどきりとしました。
大家さんのいたずらな笑み。たぶん試されていたのだと思います。
わたしは旅と思索社という自分の会社を別にやっていて、その会社の事務所として借りようかどうか悩んでいることを素直に話しました。それから、遠慮がちに、ちょっと悲観的に聞いてみたのです。
「あの……、お店をやるのはやはり難しいですよね?」
「ああ、飲食店以外なら構いませんよ」

大家さんから意外な答えが返ってきたのです。 わたしは色めき立ちました。
「自分の事務所に本を売るスペースを作りたいのです。ときどきイベントなどもやりたいと思っています」
「本屋ですか? いいんじゃないですか? どうせそんなにお客さんも来ないでしょ?」
……うーん、悔しい! どころか、なんとありがたいお言葉!!
事務所としてしか使えないのなら<やっぱり>と思ってあきらめるつもりでいたのに、逆にすっかり背中を押されてしまったのです。
「ほかにも内覧に見える方がいらっしゃいますから、もしお借りになるなら早めにご返事いただけると……いつまでにご返事いただけますか?」

興奮冷めやらぬまま、伊藤社長に大家さんとのやり取りを話しました。すると社長が言ったのです。
「事務所の一部をうちの倉庫代わりに少し使わせてくれるなら援助してもいいよ」

さまざまなチャンスが一度に訪れるとは思ってもいませんでした。
なんだか狐につままれたような一日。その夜はすっかり飲みすぎてしまいました……(いつもか)。

(つづく)